スタッAフです。
事実ってなんだろうと考えています。
 
弊社の研修内容の1つとして、
社説を1つ取り上げて以下の3項目について述べるというものがあります。

・社説内に書かれている事実
・社説内の意見
・自身の感想
 
過去、人数にして2桁数の社員のアウトプットを見て、
「純度高く事実を書けているな」、と感じたことはそうそうありません。

(試しに過去の自分の成果を漁ってみたら、不純物だらけで卒倒しそうになりました。)
 
じゃあ純度の高い、精製された事実って何?
と考えると、ぱっと答えは出てきません。
 
*
 
少し寄り道します。
 
 「こんな嫌なことがあった。」

これは事実ではありません。
 
 「○○という事象があった。」
 「それに対して自分は嫌な気持ちを抱くという反応をしている。」

こうすると多少純度が高くなります。

更に細分化していくこともできます。
 
▼事象
 当事者:自分となにがし
 発生時刻:いついつ
 概要:これこれこう
 原因:こんなやんごとなきあれ

▼反応
 度合い:数値化すると40%程度
 種類:感情に付与してあげる名前
 身体的反応:下腹部のあたりに圧迫感が少々
 身体的発露:舌打ちや溜息には至っていない
 
こうやって細分化していくことが、
事実とそうでないものをふるい分けていくことになるのかな、と思っています。

それはきっと無限にできるけれど、
純度が高すぎる事実は情報として使い物にならないな、とも思います。
 
*
 
事実は事実として切り出して伝えて、
それが事実だという事実のソースを示す。

事実ではなく想定であるのなら、
それが事実ではない事実と根拠を示す。

これを怠ると、複数の当事者間でやりとりをする時に、
余計なコミュニケーションコストがかかるので避けたほうが良いと思っている、
というさらなる寄り道をいま挟みました。
 
*
 
話は戻って、感情的な反応が生じた時の事実の純度を高める取り組み。

実践すると、細分化に夢中になって、大抵の嫌なことはどうでもよくなります。
事実は変わりようがないので、別に反応しても得しないな、という気分になります。

そうやって生きています。

このままエスカレートさせて、
正負限らずどんな事象に対しても感情的な反応をしない、
何考えているのか分からない、機械のような人間になりたいと思います。
 
 
思ってはいません。

以上です。
元気です。
(数値にすると52%くらいの元気)

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