仕事関係はそうでもないのですが、
初対面の人とか、そこまで親しくない人と
接する機会があるとだいたい最初に心掛けることがあって
それは「実際よりも少しでもいい人に思われる」という
こういってしまうと、身も蓋も無い目標なのですが
実際身も蓋も無い人間なのであまり気にしないようにしています。

で、そういった目標を掲げて、会話をしたりします。
頑張って実際の自分よりもまともな人間に見せるよう努力します。
最初は。

勿論、この行動のあとに、やや親しくなって、普通に会話し始めようものなら
すぐに私が「小学校でこぼした牛乳を拭いたあと、あまり良くすすがずに干した雑巾」
みたいな感じの人間だと、ばれてしまいます。
寧ろ自分から進んで雑巾らしさを開示していくむきがあります。
すると、毎度見ていて気持ちがいいほど
心象が下方修正され、いつも通りの低めのポジションに据え置かれるわけなのです。
驚くべき確率で。

中にはその変化を歓迎する人もいます。
同じ匂いのする人たちです。
しかし、それは男性ばかりです。

それはそれで楽しいのですが、
これではいっこうに女性にもてないのではないか、
そう疑問に持たれる方も中にはいらっしゃると思いますし
私もそう思いますし、実際にそうです。

では、何か手法を変えるべきではないか、
特に女性に対しては、と考える方もいらっしゃると思いますし
私もそう思いますが、実際にそうできたことがありません。
むしろより露悪的になる傾向が強いのです。

それはなぜなのか。
回答としては物凄くシンプルで
この齢三十を超えたおっさんの中に実装されているのは
恥ずかしがり屋の小学生男子である。
という一言に尽きます。
いい歳こいて、何を言っているんだと、思われますでしょうが
実際にそうなのだから仕方ないだろう、という話なので
先に進めます。

頭の中の僕は小学生で短パンで、当然緊張して女性とは上手くしゃべれないので、
何とか自分が喋れる材料は何かないかと
頭の中のあちこちを漁ります。
でも出てくるのは悲しいかな「下ネタ」しかありません
小学生男子の姿をした僕は焦ります、
「三十年生きてきて、こんなのしかないのかよ…」、
と泣きたくもなります。
でも何かしゃべらないといけません。

※このしゃべらないといけない、という観念自体が
おおよそ間違ったスタートを切らせる原因となっているのですが
これがなかなかに、払拭できないのです。

頭の中の小学生男子の姿をした僕は、諦めたようにそこいらに散らばった
「下ネタ」を小さな腕に抱えられるだけ抱えて、
走っていくのです。
「またかよ!また、このパターンで、こういう感じかよ!」と泣きながら。

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小学生の甥っ子が”緊張しているのが分かっていながら”
「お姉さんと話そうよ」と積極的にコミュニケーションを取りに行って
もぞもぞさせてやったぜ、と話した友人に、
何故だか他人事には思えない僕は「そういうのはやめてやれよ!」
と半ば本気で言ったのは、そういう背景があるからなのでした。
「あとお姉さんじゃなくて、もうおばさんだからな!」と
勿論言わなくていいことを言う幼い部分もしっかりと発揮してしまいました
こんなんだから、女性とうまく話せるようになる日は来ないかもしれません。

最近夏目漱石先生の「こころ」を読みました。
恥ずかしながら、人生で初めて読みました。
暗い話ですが、物凄くきれいな文体で読みやすかったです。

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