どうも、ゴルジ体です。

まあ帰宅時間ともなると、下り電車のホームっていうのは人でごった返しますね。
今日も、今日とて、ゴルジ体がおうちに帰るために乗り換えている、
私鉄の下り方面のホームは込み合っており、いつもどおり、前から来る人
列に並んでいる人を避けながら狭いスペースを少しずつ進んでおりました。
すると、前方より、やや大きめのサイズの服を好んで着て、
帽子を真っすぐかぶらない事にアイデンティティを見出している様子の青年が
携帯を片手に、肩で風を切ってやってまいりました。

ここで、ゴルジ体が、そのような青年に、どういった心象風景を描くかは、
今回書きたい内容に関連しないため触れませんが。
まあ、その青年が、当然と言えば当然なのですが、
私の進行方向3m先を歩いていたお父さん(50代)にしこたまぶつかりました。

その青年は、すれ違いざまに、お父さんの背中をにらみつけ
お父さんの後を追うように、人並みを押しのけてズンズンお父さんに近づいていきます。
で、予想通り、お父さんの肩に手をかけ、何がしか言っております。

こういった風景を、人生で何度か拝見してまいりましたが、
だいたい、ゴルジ体の心の中は

恐怖心:90%,なんとかしなきゃ5%,好奇心5%

といった感じになります。
日本男児にあるまじき、恐怖心の丸出しっぷりです。
「男気?そんなの持ってないっス、恐怖心なら、掃いて捨てても、まだ売るほどありますがね」
みたいな感じです。
で、今回も、ゴルジ体の足はマグニチュード7くらい震えており
「ホント、大事にならないで」、「誰か止めて~!」と、
八百万の神々に祈りたおしながら、歩いておりました。

が、がです、経験上、誰も止めないし、だいたい酷い事になります。
なので暗澹たる気持ちになっていました。
で、過去の同じような場面で、どうしていたか?なんですが、
結局、「僕が止めなきゃなあ」、と
諦観に近い覚悟を決めて、半べそで、飛び込みます。
うまくいけば、ノーダメージで仲裁できるのですが、
特にお酒とかが入っている状態ですと、
おおむね、「ぱんちのたぐい」をありがたく頂戴する手筈に、あいなります。

でも、なぜビビリ全開の僕が、「飛び込む」なんていう行為に及んでしまうのか、なんですが
理由は、ある2つの言葉が、あたまの中をくるくる回るからなのです。

1つは、ある映画のセリフなのですが(引用元が学が無くて申し訳ないです)
「最大の悪は、(自分が)善良だと信じる人々の無関心です」
ってな旨の言葉と、
もう一つはシェークスピアが書いた(引用元に学があって申し訳ないです)
「to be, or not to be. that is the question.」って言葉です。
どちらも、私見は控えさせていただきますが、その2つが
どうしても、ひっかかって、気付いたら、ほどよいパンチをもらったりします。

結局のところ、今回はお父さんのナイスな、いなしっぷりに助けられ、
僕が、泣きながらパンチを召し上がる流れは回避できましたが
この2つの言葉は、これからも、僕にとっての大きな問いであり、答えであり続けると思います。
これから、もし自分に守るべきものが出来て、
偶発的にでも社会責任を負うリスクをどのように天秤にかけて、どんな答えをだすのか?
ってかっこよく〆ときます。
ではまた

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