15,6年・・・もう少しかな、乗ってるオートバイを
カスタマイズしてもらい、この週末に納車。
細々と部品を入れ替えて設定を変えて色を白に塗り替えて。
z1000mkⅡ

・・・カスタム前

話は変わって・・・
「可能性のこと」
宇宙飛行士、プロ野球の選手、総理大臣(これはないか)、YouTuber、ノーベル賞、世界を変える、etc etc…
子供のころは できない確率よりもできる可能性
というよりも 「純粋になりたいもの やりたいこと」があって
それが単なる夢じゃなくて実現できると信じています
年を重ね 失敗を重ね 現実?を知って、計算して
そういうものにいつしか蓋をしてしまうのが大人になることであれば
それは寂しいですね
何故そうなってしまうのか・・・?
同質であること・・・
たとえば、会社でちゃん働くこと、お金をちゃんと貯めること、保険にちゃんと入ること
ちゃんと学校を卒業すること、義務教育をちゃんと受けること、
はげてちゃいけないとか太ってちゃいけないとか、流行がこうだとか
(余計なお世話ってことまで)まあ総じて人並みに「ちゃんと」していること
そういうのは誰が決めたわけでもないと思いますが
そんなモノサシが世の中にはたくさんあって
モノサシの中に入ろうとすればするほどに
純粋な自分の気持ちから現実の自分が遠ざかっていくこともあるでしょう
失敗しないこと・・・
これは同質であることにも似ていますが
成功という異質は良くても
失敗という異質は悪い
そして成功よりも失敗の数のほうが多いから
必然とチャレンジはしなくなり
同質であることに落ち着く
まあそもそも成功や失敗のモノサシも
共通ではないんですけれどね
物質的、経済的、社会地位的なことだけが
成功のモノサシではありませんし
それらは全て他人との比較ですしね
もちろん社会で生きていく中で
人との比較が無くなることはありませんが
それに掛かりっきりになれば
純粋な自分の気持ちから現実の自分は遠ざかっていくかもしれません
人より良いか悪いかじゃなく
自分の純粋な気持ちに正直であることや
昨日よりも今日の自分がマシになっているかどうか
それで良いと思います
ただそのために
人に迷惑を掛けても良いとか
自分さえ良ければ良いとか
人を出し抜くとか不誠実で良いとかは
まったくありません
あとはそもそも失敗っていけないんですかね?
そんなことは絶対ありません
失敗が人生の致命傷になることは
ほとんどありません
失っても下限はゼロまで
生きていればゼロから始めれば良いわけです
むしろ失敗から学んだこと
失敗したとしても挑戦した努力から得た経験は
人生では貴重なことです
では致命的な失敗とは何か?
『失敗を恐れてチャレンジしないこと』
『チャレンジしないから失敗しないこと』
ではないでしょうか?
シンプライン 清水

TOP